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ベストセラー作家と海外留学談義⁉

アリベイ・マドマドフ

アゼルバイジャン人ベストセラー作家《アリベイ・マムマドフさん》

アリベイ写真アリベイ・マムマドフ
北海道大学大学院文学研究科 スラブ・ユーラシア研究センター 博士後期課程
1988年ソ連の首都モスクワで歴史家の家族で生まれ、アゼルバイジャンの首都バクー育ち。
アゼルバイジャン人。2005年にバクー国立大に入学、日本語・文学を専攻。2009年大学卒業まもなく、アゼルバイジャン軍へ派遣されることに。
2012年4月より北海道大学に在籍中。世界の民族紛争、領土問題に関心があり、北大で「北方領土問題」や自国が抱える「ナゴルノ・カラバフ紛争」を研究。我々の歴史の汚点として紛争を批判。どうすれば紛争を解決できるのか。我々の世代で解決できるものなのか、日々考えている。
領土問題に関して、「当事者目線で考えてこそ賢い解決策が見つかるはずだ」と信じている。2014年5月から2016年4月まで、北海道大学留学生協議会会長をつとめ、現在は名誉会長。2016年6月、東京で設立された日本・アゼルバイジャン協力協会会長。東京都で学校の講師(アゼルバイジャンについて講義)。拠点を日本に置いて、仲間の支援を得つつ自らの活動をアゼルバイジャンや周辺国を中心に全世界へと広げていき、日本とアゼルバイジャンとの二国間ビジネス関係に貢献。そして全世界を繋げる。日本でのアゼルバイジャンの、またアゼルバイジャンでの日本の認知度が高くなるよう、日々の努力を怠らない。

アゼルバイジャン地図

アゼルバイジャン共和国(アゼルバイジャンきょうわこく、アゼルバイジャン語: Azərbaycan Respublikası)、通称アゼルバイジャン は、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。北はロシア、北西はジョージア(グルジア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。アルメニアをまたいで西南方に飛地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接している。首都はバクー。アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっている。

紀元前後には、アゼルバイジャン人の祖先と見られるアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)が作られていた。
歴史的には、イランの東アーザルバーイジャーン州、西アーザルバーイジャーン州とともにイラン高原を支配する政権の統治下にあることが多かった。もともとはイラン系の人々が住んでおり、南のイラン高原側と同じくゾロアスター教の拝火壇などの宗教施設が多数建立されていた。 7世紀にアラブの支配下に入ったのちも住民はゾロアスター教徒が多く、シーア派の信徒たちも含めてイスラム教への改宗は緩やかだったようである。イスラム時代以降この地域は、バクーより北側の地域をシルヴァーン地方、バクー周辺をグシュタースフィー地方、アラス川北岸の内陸部をアッラーン地方、クラ川とアラス川が合流する低地一帯をムーガーン地方と呼んでいた。
11世紀から12世紀に建てられたバクー旧市街の乙女の塔
セルジューク朝の時代にオグズ・テュルク系遊牧民(テュルクメン)が進出してテュルク化・イスラム化が進んだ。特にイルハン朝時代は、ムーガーン地方周辺が南方のバグダードと並んでイルハン朝君主たちの冬営地に定められた地域でもあった。またイルハン朝滅亡後はカラコユンル朝やジョチ・ウルス系の諸政権の支配が及ばなかった集団の出入が激しく、これらテュルク・モンゴル系の遊牧勢力の浸透によって、これらの地域の住民のテュルク化・イスラム化はさらに進展した。一時ティムール朝の支配下にあったものの、イルハン朝滅亡後はこれらの地域を統括できる政治勢力は久しく現れなかった。 17世紀にこの地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸地域一帯の多くのテュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていった。アラス川以北の現アゼルバイジャン共和国領は、元来イラン高原に属しウルーミーエ湖周辺のタブリーズやマラーゲを中心とするアーザルバーイジャーン地方とは別個の地域であって、アゼルバイジャンとは呼ばれていなかったが、南の東西アーザルバーイジャーン州との民族的共通性から次第にアゼルバイジャンという地名で呼ばれるようになった。アルダビール州からカスピ海沿岸部にかけてはタリシュ人のタリシュ・ハン国(英語版)(1747年-1813年)が自治していた。 1804年に始まった第一次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・ ゴレスターン条約(1813年)でアゼルバイジャンの大部分がロシア帝国領に編入された。1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマーンチャーイ条約(1828年)で、ガージャール朝ペルシアのアラス川北岸地域もロシア帝国に割譲された。 やがてロシアの統治下でアゼリー人の民族意識が高まった。 1918年、この地域のアゼリー人民族主義者たちは十月革命後の混乱を縫ってアゼルバイジャン民主共和国を打ち立てることに成功したが、イギリス軍によって占領され、これに反応した赤軍がバクーに侵攻、ソビエト政権が成立した。1922年末、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の一部となり、同連邦の解体にともない1936年よりアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国として直接にソビエト連邦を構成する共和国の一つになった。
1989年10月5日、共和国主権宣言。1991年2月5日、「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。1991年8月30日、共和国独立宣言。
1991年12月21日、独立国家共同体 (CIS) に参加。同年12月25日付でソ連邦は解体・消滅。これによりアゼルバイジャンは晴れて独立国家となった。

《地理》
カスピ海の西岸に位置し、北はロシア、南はイランに挟まれる。北緯38度〜42度、東経44度〜55度。南北400km、東西500kmに及ぶ。地形上、カスピ海・大コーカサス山脈・中央平原に3区分できる。すべての河川がカスピ海に注ぎ、最長はKur川の1515kmである。最高地点はバザルドュズ山 (海抜4466m) である。南にアゼルバイジャンの飛地である自治共和国ナヒチェヴァン自治共和国がある。領土内にアゼリー人居住地に囲まれているもののアルメニア人人口の多いナゴルノ・カラバフ地方がある。
《経済》
IMFの統計によると、2015年のアゼルバイジャンのGDPは540億ドルである。一人当たりのGDPは5,739ドル[2]。通貨マナトが対米ドルで急落しており[8]、年を追うごとに数値は低くなっている。 バクー油田など豊富な天然資源があり、ソ連崩壊やアルメニアとの紛争で落ち込んだ経済を支えている。天然資源の存在は第二次世界大戦やチェチェン問題とアゼルバイジャンの関係とも大きくかかわっている。 2006年にはアゼルバイジャンの首都バクー、ジョージアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCパイプラインが開通した。同パイプラインはBPなどの日欧米企業が出資、輸送能力日量100万バレルの原油パイプラインである。これはロシアに対抗する欧州向け原油輸出パイプラインとして期待され、カザフスタン原油の輸出も計画されている。カスピ海では油田のほかにガス田も生産を始めている。こういった欧米の直接投資と原油高に伴う多額の収入が国内の経済を急速な勢いで成長させているが、一方で激しいインフレと失業率に悩まされている。また、環境汚染も深刻である。
国内の労働市場は経済状況に比べれば不安定でIDP(国内避難民)も多く抱える同国の国民生活は決して経済成長率を反映しているとは受け取れない。

引用 Wikipedia~

アゼルバイジャンが今面白い理由

外国人留学生から見た日本の教育制度

留学コンサルタントの荒木です。アゼルバイジャンから日本へ来て7年目、現在は北海道大学で非常勤講師を務め、昨年末に[アゼルバイジャンが今、面白い理由(KKベストセラーズ]を出版しベストセラー作家になった《アリベイ・マムマドフさん》と対談をしました。海外から来た外国人留学生、そしてその後、日本の大学で教鞭を取るアリベイさんから見て、今の日本人はどのように映っているのでしょうか?また、破竹の勢いで成長している《新興国 アゼルバイジャン》の国民からみて、ピークアウトを迎えた【日本】の現状と未来はどのように映っているのかをじっくりと聞いております。

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荒木 隆

荒木 隆

株式会社荒木隆事務所 代表取締役
北海学園大学経営学部外部講師
留学コンサルタント

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